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母が熱海に住むようになって

投稿日:04/29/2019 更新日:

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今回は私の母が熱海に住み始めた時の回想を書いていこうかなと思います。

私が熱海に頻繫に行くようになったきっかけと熱海に一人住む母に対する心境が書いてありますので、読んでみてください。

その日の熱海は快晴だった。海はどこまでもひろがり、遠くまで見渡すことができた。

キラキラと輝く水面はいつまでも眺めていたいほど綺麗だった。
「凄く良いところじゃない!お母さんにとっても良い環境だわ。」
思わず、独り言が口をついて出た。まるで自分に言い聞かせるようだった。
思い返せば、父が亡くなってから独居だった母が急に熱海の老人ホームに入ると言い出したのもちょうど今頃だった。

一緒に住もうと誘っても、のらりくらりとかわされていた。私にしたら、寝耳に水と言った感じで、
「え、なんで!?」と、つい強い口調になってしまった。
「昔から海の近くに住みたかったのよ。温泉にも入りたい放題。終の住処にはピッタリ。知り合いが売りに出した部屋で、安く譲ってくれるそうなのよ。もう支払いも済んだわ。」
「どうして、そんな重大な話を勝手に決めちゃうの!!」
母の強い希望に押し切られる形になり、母は熱海に移り住んだ。正直最初は難色を示した私だが、冷静に考えると「老人ホームに入ってくれたほうが安心かも。」と思った。母は年相応の物忘れがあったし、血圧が高く心臓の持病があった。この老人ホームには、もしも何かあった時にコールでき、見守り体制が整っていた。火の消し忘れも心配していたが、ここには食事の提供もあるのだ。栄養士がいて栄養不足だって心配ない。何と言っても本人のたっての希望なのだから。

では、この心のモヤモヤは何だろう。最近の母の様子が、自分を不安にさせていることはわかっていた。
何回も説明したことを、繰り返し尋ねる。薬の飲み忘れが目立つ。身なりをあまり構わなくなった。
どちらかと言うと神経質だった母が、部屋の中が乱雑なまま生活しているのが驚きだった。昔の私がこんな部屋にしていたら、きっとこっぴどく叱られたことだろう。
思っていたより、ホームの住人同士の交流は少ないようで、母は他人と話す機会はあまりないと言う。刺激のない毎日で、すっかり老け込んだように見える。
部屋のチャイムを鳴らすが、出ないので、合鍵で入る。母を探すがいない。トイレをノックすると出てきた。
「あら、今日来るって言ってた?」
「一緒に昼ご飯食べるから、ホームの昼食キャンセルしてって言っておいたでしょう?」
「そうだった?ご飯キャンセルしていないわ。今からささっと食べて来るから、待ってて。」
「じゃあ部屋に運んできて一緒に食べよう。」
昼御飯は麺類が多い。2人で食べたので物足りない。
「食事に行こうか?」
「そうね。買い物もしたいわ。」
「この辺りの封筒全然開けていないじゃない。」
「開けて見てよ。」
「え、これ督促状じゃない。支払いしないと。」
「だって体がキツくて、坂を下ってあんな遠くのコンビニまで行けないわよ。」
今まで何でも自分でしなければ気が済まない人だっただけに、手を出さないでいた。

出来ていると思っていた。でも少しずつ、手助けが必要になってきているのを感じた。

車で10分程の和食ファミリーレストランで食事をした。母は天ぷら御膳だけでなく、デザートまで平らげた。
「これだけ食べられるなら安心ね。」と笑うと、
「あそこの食事は、冷たいの。温かいものは温かいうちに食べたら美味しいね。今日は温かいものが食べられて良かった。ありがとう。」
なんだか、しんみりとした気持ちになった。
大きなスーパーまで足を伸ばす。先日、弱音を吐かない母が歩くのがツラいと言って来たので、買ったカートを押して歩く。背筋も伸びているし、足の運びもスムーズだが、長時間の歩行は疲れるようだ。でも久しぶりの買い物が嬉しいようで、あれもこれもとかごに入れる。
「そんなに冷蔵庫に入らないわよ。」
「次またいつ来られるかわからないからね。」
こんな母を見て、頻繁に顔を出すようにしなければいけないと思った。

 



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